1923年9月1日の関東大震災のとき、その記録フィルムは、いろいろあった。
ただ、タイトルが不明だったり、コピーと思われるものがあったりだった。
撮影したのは、ほぼ分かっていて、岩岡商会の岩岡巽、日活向島撮影所の高坂利光、そして東京シネマ商会の白井久の3人だった。
彼らは、震災と火事の現場で、「こんな時になにを撮っているんだ」との批難の声の中で、カメラを回し続けた。
当時の映画撮影のカメラは、手回しのもので、左手でカメラを支え、右手でクランクを廻して、撮影した。
その現場、撮影者を明らかにして行くが、意外に近い距離で撮影していることに改めて驚く。
この辺の証明は、NHKが放送した物の方が精密だが、ここでも必要な程度は明かされている。
この中で興味深いのは、白井久の撮影した部分で、劫火に逃げ惑う人々を冷静に捉えている。
そして、この白井は、後に東宝文化部で、記録映画『南京後方記録』等の名作を作るのだ。
もちろん、そこには自然災害の大震災と、日本軍による戦争の被害者である中国人との差があるわけだが、無力な庶民が大きな被害を受けていることに差異はない。
じっと庶民の姿を見つめている白井の目を感じる。
横浜シネマリン