一昨日の斎藤美奈子さんによれば、「出世と恋愛」は、近代の所産、個人の営為なのだそうだ。
たしかに、日本でも近代以前の封建社会では、身分は一応固定されていたので、その身分の中での上昇はあっても、身分を越えての上昇はないのが建前だった。
また、結婚も男女の恋愛の結果ではなく、ある程度の階層では、結婚は家と家の間で行われるもので、さらには、一生の内、男女が必ず結婚するようになったのは、江戸時代後期のことだったそうだ。
これも、やはり農民にとって不可欠の土地、田んぼや畑を次男、三男に持たせることはできなかったからだと言われている。
そして、明治維新となり、身分解放となり、近代社会は、一応個人は自由に生きられるとされたので、職業の選択も自由になり、成功も失敗も個々人の責任とされるようになった。
ここにきて、出世と恋愛は、その可能性が起きる場をえたという具合なのだ。
これは、勿論基本的にであり、どの時代でも例外はいくらでもあるのだが。]