大学時代一番好きな映画監督は、日活の蔵原惟繕だった。映像派で、音楽も良く、洒落ていたからで、ただときどき『愛の渇き』のように意味不明で、分かりにくくなることもあったのだが。この助監督にいたのが、藤田敏八だが、彼には一つ、演劇の素養があり、「ベケット的」というのが、私の考えである。
さて、この蔵原も、日活を出た後は、不遇で、岸恵子と萩原健一の『雨のアムステルダム』などは、あきれるほどの作品だった。
テレビもやっているのは知っていたが、『斬九郎シリーズ』もやっていたとは初めて知った。
だが、この松竹京都撮影所は、もともとは蔵原にとっては、最初にいたスタジオなのである。普通、1952年に日活が製作再開をしたとき、松竹大船から多くの助監督が移籍したのは有名だが、それに連れて京都の松竹京都撮影所からも、蔵原の他、『男の紋章』等を作った松尾昭典も日活に来ているし、かの神代辰巳も京都から日活に移籍している。神代は、松竹京都時代に、人気女優だった島崎雪子と結婚していて、私も幼いながらに知っていた記憶がある。当時、島崎は大スターで、彼女の車の運転手の給料よりも、助監督の神代の給与の方が低かったという有名な話がある。
話は、江戸の大店の団子屋大黒屋に、新妻が来る。店の遊び人の主人にとっては、3度目で、遠州掛川からの出戻り女だとの話だったが、来るとお玉の平淑江の美人。
だが、斬九郎は、昔近所にいて、密かに恋文を送った相手の操なので、びっくりする。
操は、17歳で大身の旗本に嫁入りしたので、叶わぬ恋となったものだった。
そして、隠密周りから、操とその兄が、実は夫婦で、東海道で盗みを働いてゐる者だと情報が入る。
ある夜、店の大金を持ち逃げしようとする二人のところに、取り方が入り、捕り物になる。
別のところで飲んでいた斬九郎は、現場に駆けつけて、男を切り殺すが、平には、昔だし損ねた恋文を渡して逃がす。
最後、渡し船の上で、手紙を読んだ平は、昔のことを思い出しながら、川に投げる。
テレビなので、蔵原らしい映像の冴えはないが、彼らしいロマンチシズムを感じられた。
BSフジ