1960年3月15日に、私の父は、58歳で、午後に脳梗塞で倒れ、その日の夜に亡くなってしまった。
この時、長女は結婚していて息子もいたが、次女は銀行勤め、長男は大学2年、三女は高校2年生、末っ子の絵私に至っては、小学6年生だった。
ことの突然に、母親は呆然とし、さらに夜になり、お通夜になると父の棺に向かって大声で号泣していた。
そのとき、その母を知らない叔父さんが後ろから慰めていた。それも非常になれなれしく。
だが、その人が誰だか私たちは分らなかった。
その人は、父の妹の旦那さんで、我々からは叔父さんに当たる人だったのだが、その時は誰だか、私たちは分らなかった。
だが、母から離れ、こちらを向くとすぐに分った。
「Tさんだ・・・」
私たちが、誰だか分らなかったのは、その方が、いわゆる「台湾坊主」に罹り、髪の毛がほとんど抜けて坊主姿になっていたからだった。
話では、床屋で罹ってしまったとのことだった。
台湾ぼうずには、実はもう一つ意味があり、冬に東京等に雪を降らせる「南岸低気圧」で、昔はそう言ったのだが、今は言わない。