必要があって、横浜が出てくる映画をさらっているが、最初は、記録映像になる。
ルミエール兄弟が世界中に派遣した撮影隊が撮った日本の姿で、褌姿で水車を廻す男のは、横浜という話しだが、本当かどうかは不明。
次に出てくるのは、日露戦争で、出征する兵士の列の後ろに、「伊勢佐木町」という旗が見える。
日清戦争は、映画はなく写真と絵のみで、日本では再現劇が大ヒットした。
日露戦争は、20世紀最初の世界的戦争で、世界中からカメラマンが集まり取材して、ニュースとして配信した。
その次は、関東大震災になるが、これも大桟橋以外は、その場所がよく分らない映像が多い。
そして、昭和の復興となり、清水宏の1933年の『港の日本娘』となり、ここでは江川宇禮雄は、『八月の濡れた砂』のように、オートバイで女たちの前に現れる、モダンさ。
小津安二郎の1933年の『非常線の女』にも、整備された日本大通のビル群を使ったシーンがあり、最後は山手のカソリック教会の前である。
ただ、この辺から横浜の映像は少なくなる。
理由は、横浜は要塞地帯だったので、撮影ができなかったのだろうと思う。
戦後も、実は横浜の映像はすぐは少ないのも、横浜港は当時は米軍の管理下だったからだ。
その例外は、1949年の美空ひばり主演の『悲しき口笛』である。
ここには、桜木町駅付近も出てくるし、新港埠頭での、松竹の役者たちの慣れない下手なアクションシーンもあり、遠くにはハンマーヘッドクレーンも見える。
そして、1954年に港湾法ができて、横浜市の管理になり、丁度石原裕次郎が出てきて、日活アクションの舞台になる。
なかでも1957年の蔵原惟繕監督の『俺は待ってるぜ』は、傑作だと私は思う。
宍戸錠の『拳銃は俺のパスポート』のラストは、本牧D埠頭である。