横浜のシネマリンでは、今年1月に亡くなられた宍戸錠を追悼して「宍戸錠映画祭」が行われている。本当は、6月にやる予定だったが、コロナで今月に延期になったもの。佐藤利明さんの選定で、15作が上映される。
この『大草原の渡り鳥』は、見たかどうか不明で、見に行ったが、すぐに見いていないことがわかった。小林旭の滝新二が、北海道に現れるが、江木俊夫を連れている。江木は、子役で4歳からテレビ等に出ていたとのことで、芝居は上手い。山から下りると、阿寒湖だろうか大きな湖で、アイヌの部落があり、また佐々木孝丸が村の有力者で、鉱山を経営している。その姪が浅丘ルリ子で、佐々木は自分の息子の木浦祐三と結婚させようとしているが、これは従弟婚になる。従弟婚は昔は非常に多く、レビー・ストロースは、アジア等の「又従弟婚」は、女性の交換であり、一族の始まりだとしている。私は、土地等の資産を自分の一族に残そうとするものだと思う。
アイヌの長は、河上信夫さんで、ここを釧路でキャバレーをやっている金子信夫が、水辺の地を取って飛行場を作ろうとしている。宍戸は、金子と銀行強盗をしたが、一人で罪をかぶって網走に7年いて、出てきたところ。旭と宍戸は、拳銃使いの好敵手だが、二人とも台詞が上手いので、そのやりとりは、この5作目では漫才めいている。金子は、ここではルリ子には特に手を出さず、その代わりに佐々木から借金の方に鉱山を取ろうとしている。最後、アイヌの祭になり、伊藤久雄が歌う。そして『イヨマンテの夜』が演じられ、テレビでさんざ見せられたものだが、この形式は菊田一夫が舞台で始めたものだが、そうひどく歪曲はされていない。以前、フィルムセンターで姫田監督のものを見たが、劇的にはなっていないだけで、そう『イヨマンテの夜』と違うものではない。そこに金子の子分たちが来て、焼き討ちするが、小林旭の活躍で撃退される。金子は、砂浜のようなところに逃げ、宍戸は彼に拳銃を投げて渡して堂々と戦って勝つ。北海道なので、大群衆のなか旭が消えるというシーンはない。
終了後、佐藤利明さんの話で、宍戸錠の日活スタイルの奇蹟が解説されて、非常に面白かった。『警察日記』の二枚目でデビューしたが、石原裕次郎の出現によるアクション路線への転換で、自分も豊頬手術という誰もしなかった造形を自らの体に施した宍戸。日活の錠の拳銃の上手さの宣伝から出来上がる拳銃使い役と、裕次郎のス キー事故、赤木圭一郎の事故死により、急きょ主役にされ、『用心棒稼業』でアクション・コメディ路線になる。そして、1960年代にはさらにハードボイルドへ上昇する。『野獣の青春』のドラマ性とやくざの事務所が映画館の裏にある奇抜さ。これは、古いやくざの信欣三の狂気ぶりがすごい。そして、『拳銃は俺のパスポート』 これはプログラムに穴があいたために急きょ作られた作品だが、封切り時に見て本当に感動した。だが、抒情派の野村孝監督にしては不思議だなと思っていたら、アクションシーンは、セカンド助監督の長谷部安春が撮ったのだそうだ。チーフ助監督は桑山朝夫で、ポルノ時代に作品を作ったが、普通の出来だったのだから。そして、鈴木清順の『殺しの烙印』、実は封切りで見て、私は筋が理解できず、2、3番館をまわって12回見て、やっと意味がわかった。これはシュールで省略と飛躍が多いので理解しにくいのだ。これを見た堀社長が「わけのわからん作品を作る監督はいらない」として鈴木を首にしたのは、ある意味で正しいと思う。私は、鈴木を首にした理由は、それよりも「具流八郎」で、多くの若手助監督、脚本家等が集団を作っていたのが一番に不快だったのではないかと思う。日活という小企業の社長にとって、自分以外の者たちが徒党を組んでいるのは、会社、そして自分への反乱のように思えたのだろうと思う。堀久作は、所詮は小企業の親父にすぎなかったのである。
この『大草原の渡り鳥』は、見たかどうか不明で、見に行ったが、すぐに見いていないことがわかった。小林旭の滝新二が、北海道に現れるが、江木俊夫を連れている。江木は、子役で4歳からテレビ等に出ていたとのことで、芝居は上手い。山から下りると、阿寒湖だろうか大きな湖で、アイヌの部落があり、また佐々木孝丸が村の有力者で、鉱山を経営している。その姪が浅丘ルリ子で、佐々木は自分の息子の木浦祐三と結婚させようとしているが、これは従弟婚になる。従弟婚は昔は非常に多く、レビー・ストロースは、アジア等の「又従弟婚」は、女性の交換であり、一族の始まりだとしている。私は、土地等の資産を自分の一族に残そうとするものだと思う。
アイヌの長は、河上信夫さんで、ここを釧路でキャバレーをやっている金子信夫が、水辺の地を取って飛行場を作ろうとしている。宍戸は、金子と銀行強盗をしたが、一人で罪をかぶって網走に7年いて、出てきたところ。旭と宍戸は、拳銃使いの好敵手だが、二人とも台詞が上手いので、そのやりとりは、この5作目では漫才めいている。金子は、ここではルリ子には特に手を出さず、その代わりに佐々木から借金の方に鉱山を取ろうとしている。最後、アイヌの祭になり、伊藤久雄が歌う。そして『イヨマンテの夜』が演じられ、テレビでさんざ見せられたものだが、この形式は菊田一夫が舞台で始めたものだが、そうひどく歪曲はされていない。以前、フィルムセンターで姫田監督のものを見たが、劇的にはなっていないだけで、そう『イヨマンテの夜』と違うものではない。そこに金子の子分たちが来て、焼き討ちするが、小林旭の活躍で撃退される。金子は、砂浜のようなところに逃げ、宍戸は彼に拳銃を投げて渡して堂々と戦って勝つ。北海道なので、大群衆のなか旭が消えるというシーンはない。
終了後、佐藤利明さんの話で、宍戸錠の日活スタイルの奇蹟が解説されて、非常に面白かった。『警察日記』の二枚目でデビューしたが、石原裕次郎の出現によるアクション路線への転換で、自分も豊頬手術という誰もしなかった造形を自らの体に施した宍戸。日活の錠の拳銃の上手さの宣伝から出来上がる拳銃使い役と、裕次郎のス キー事故、赤木圭一郎の事故死により、急きょ主役にされ、『用心棒稼業』でアクション・コメディ路線になる。そして、1960年代にはさらにハードボイルドへ上昇する。『野獣の青春』のドラマ性とやくざの事務所が映画館の裏にある奇抜さ。これは、古いやくざの信欣三の狂気ぶりがすごい。そして、『拳銃は俺のパスポート』 これはプログラムに穴があいたために急きょ作られた作品だが、封切り時に見て本当に感動した。だが、抒情派の野村孝監督にしては不思議だなと思っていたら、アクションシーンは、セカンド助監督の長谷部安春が撮ったのだそうだ。チーフ助監督は桑山朝夫で、ポルノ時代に作品を作ったが、普通の出来だったのだから。そして、鈴木清順の『殺しの烙印』、実は封切りで見て、私は筋が理解できず、2、3番館をまわって12回見て、やっと意味がわかった。これはシュールで省略と飛躍が多いので理解しにくいのだ。これを見た堀社長が「わけのわからん作品を作る監督はいらない」として鈴木を首にしたのは、ある意味で正しいと思う。私は、鈴木を首にした理由は、それよりも「具流八郎」で、多くの若手助監督、脚本家等が集団を作っていたのが一番に不快だったのではないかと思う。日活という小企業の社長にとって、自分以外の者たちが徒党を組んでいるのは、会社、そして自分への反乱のように思えたのだろうと思う。堀久作は、所詮は小企業の親父にすぎなかったのである。