Quantcast
Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3529

『素っ裸の年令』

$
0
0
およそ40年以上過ぎて『素っ裸の年令』を見た。高校時代で、ノートを付けていないので、正確な時期は不明だが、たぶん1962年だと思う。
見たのは、蒲田パレス座で、ここは本来日活の2番館だったが、当時次第に日活も製作数を減らしていたので、ときどき「なになに週間」というのをやっていて、これは赤木圭一郎週間で、残りは裕次郎と共演した『清水の暴れん坊』と「拳銃無頼帖シリーズ」の何かだったと思う。


               

この鈴木清順監督の『素っ裸の年令』は、米軍基地の廃カマボコ兵舎に、10代の若者がいて、悪るさをしつつ共同生活をするというものだった。
そのリーダーが19歳の赤木で、恋人は堀恭子、その他後に日活の映画で見る、たぶん児童劇団だろう少年たちも出ている。
彼らは、カミナリ族で、オートバイをすっ飛ばしていて、すぐに江の島海岸に行く。
ここの江ノ島水族館は、日活社長の堀久作のものなので、この時期やたらに出てくるのである。
彼ら「ローティーンやくざ」のことは、新聞に出ていて、それは実は赤木が、記者の高原敏雄に売っていたのだ。

そして、20歳になった赤木は、すべてから足を洗い、田舎に行く。
そこを残りの少年たちが追いかけて来て、赤木は道路の石に車輪を取られて運転を誤り死んでしまう。
まるで、赤木圭一郎の最後を予見したような作品だった。

この少年たちが、隠れ家のようなところで、コンミューンのような共同体を作っているというのは、日活にときどき出てきた。
石原裕次郎のアクション映画『夜のバラを消せ』でも、由美かおるが、孤児たちと船に住んでいた。
こうしたものは、今では私は、日活撮影所という非常に若い自由な雰囲気のスタジオそのもののことだと思っている。
石原裕次郎・小林旭時代から、後の日活ロマンポルノ時代まで、そこにはスタッフ、キャストの自由な共同体があっと思う。
それが、数々の傑作を生みだした元だと思うのだ。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3529

Trending Articles