実は、私もつい最近知ったのですが、2001年に出した私の本について、次のような批評がネットにありました。
この人は、在米の人らしく、私はなにも知りませんので、念のため。
レビュー対象商品: いじわる批評、これでもかっ!―美空ひばりからユッスーまで、第7病棟からTPTまで ポピュラー・カルチャーの現在 (単行本) 「さすらい日乗」というブログを最近知った。どこかで読んだ記憶のある文体と批評眼で、あれれっと思ったが、この本の著者指田文夫氏のブログだった。久しぶりに本棚から出してみる。1982年から1998年までの演劇、映画、音楽評で、いじわるではなく、きわめてまっとうな批評集である。まあ、騙されたと思って「さすらい日乗」を読んでみて、気に入ったらこの本も買ってみてほしい。
こういう批評集をプロが書けない日本が情けない。未だに売れ残っている(失礼!)のは、もっと情けない。時評集なので再版する性格の本ではないと思うが、批評とは紹介ではないという著者の姿勢を私は支持する。
ここでは何度も書いたので、今更だが、私は高校生の頃から、日本の文化、芸術の批評に大いに疑問を持ってきた。
それは、ほとんど関係者、仲間内が批評し合っていることの問題である。
音楽、演劇、映画、文学等の批評家の多くは、その業界の関係者、雑誌、放送局、マスコミ、流通等で、大きく言えば関係者である。
あえて、中立的な立場にあるのは、大学等の先生だが、中には積極的に業界を擁護する人もいる。
何代にも渡って東大出身と言われる大学者先生は、昔朝日新聞で次のように言っていた。
「日本の演劇界では、皆非常に生活が苦しく大変である。だから私は、どのようにひどい劇のときでも、その良い面を捉えて否定的に書かないことにしている」
これは、かつての農協擁護であり、「小泉構造改革」で壊されたはずの生産者優位の思想であり、享受者、消費者の立場はどうでも良くなっている。
確かに、かつて1960年代まで、日本のエンターテイメント産業はきわめて脆弱だった。
だが、1980年代のバブルを経て、今ではかつてと比べものにならない程に強大化し、豊かになっている。
だから現在においても、このような発想はおかしいと私は思う。
もし、あなたがラーメン屋に入って注文したとする。
その時、オヤジに「今日は未熟な若者が作ったので、少し不味いけれど、喜んで食べてくれないか」と言われた。
恐らく、あなたは「金を返せ、あるいはその分安くしてくれ」と言うに違いない。
市場経済における商品というものはそうしたものであり、なぜ、文化や芸術だけが聖域なのか。
私が目指しているのは、業界の関係者でない批評である。
多分、1982年以来、雑誌『ミュージック・マガジン』に演劇評を書いてきたのも、中村とうようさんをはじめ、編集長が評価してくれたからだろうと思っています。
それは、このブログも同じですので、どうぞよろしく。