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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『嵐をよぶ楽団』

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1961年の宝塚映画で、井上梅次得意の音楽もの。
ジャズのフル・バンドをやっていた父親の跡を次ぎたい宝田明が、様々な苦労をしつつバンドを作る話。
面白いと思えば非常に面白く、バカバカしいと思えば、大変にバカバカしく見える作品である。
「井上梅次は、もう古い」と断言したのは、早稲田の映研の金子裕君で、そう信じていたが、20年くらい前に黄金町のシネマジャツクで見て、「意外と面白いじゃないか」と井上を見直した作品。

冒頭に、雪村いずみが大キャバレーで歌っていて、途中でピアノの宝田が、自分勝手に弾きだして大問題になるシーンがある。
ここは、宝塚映画のスタジオではなく、実際に大阪にあった大きなアルサロだと思う。
宝田の母親は、水戸光子、父の元マネージャで、プロモーターは阿部徹、別府に旅公演に行くが、トンズラするマネージャーは山茶花究、別府の旅館の親父は柳家金悟郎、番頭で本当はジャズ好きの男が森川信と大物俳優が出ている。
こういう嘘話は、豪華にしないと信じられないので、井上はそのことをよく分かっている。

柳沢真一、江原達怡、水原浩、神戸一郎、さらに女性シンガーで朝丘雪路が参加してバンドができ、大阪の梅田コマ劇場でショーを成功させる。
これは「ジャズの歴史」なるもので、今見れば相当に問題があるが、当時はこの程度の認識だったのだろう。
そして、ついに東京の日劇に出るが、内紛で失敗し、宝田は、関西に戻り、他のメンバーは、テレビ等に出て行く。
宝田と高島忠夫、雪村と朝丘の恋愛劇もあるが、最後は宝田と雪村、高島と朝丘が結ばれ、バンドも復活されることが示唆されてエンド。

二言目には、ジャズが素晴らしと言われるのが相当にしらけるし、時代的にはおかしい。
ジャズが、大人気で最高に盛り上がったのは、1950年代で、この1960年代は、ロカビリーブームで完全に下降していたのだから。
水原浩も、この頃はロカビリー歌手で、神戸一郎は歌謡曲で売れていたのだ。
ともかく、ジャズだ、若さだ、友情だと何度も言われてはシラけるが、それは私だけだろうか。

これで追悼されているのは、朝丘だが、高島忠夫も追悼になってしまった。
ご健在なのは、雪村、宝田、江原、そして柳沢くらいだろう。
国立映画アーカイブ

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